現状のストリートダンスのコンテストの評価基準。
一定の技術はクリアしている事を大前提として、作品の出来が優劣の判断になってくる。
一種のカタルシスが最後に用意されていて、それに向かってどう進んでいくのか?という所がポイントで。このカタルシスの大きさが、コンテストにおける評価をかなり左右しているように思えます。
見終わった瞬間に「最高だぜ!フー!!」と拍手がしやすい作品が評価されやくて、その時はテンションがさほど上がらなくても「あれは何だったんだろう?」とか「うーん、なるほどなぁ」とかっていうような後をひくような内容だったものは、なかなか評価されにくいというのが今の現状かなと思います。
これはどちらが良いかという事ではなく、ざっくり言うとこういう状況なんじゃないかなという事です。
どちらが良いかは見ている人それぞれが決めれば良いと思うし、出る人もコンテストを研究して勝つ事か、自分達のやりたい事を追求するのか、何を大前提にするかなどの方向性は、それぞれで良いとおもいます。
でも、審査をする人は色々な角度や側面からみて、評価を付けてほしいですね。もしくは、多種多様な人達を審査員とするか。たまに、自分自身が参加していて審査総評のコメントで、何の芯も感じられないというか、何でこの人が審査しているんだというような事があるけど、それはとても残念です。ストリートダンスのコンテストやバトルではよく見かけるけど、いつも同じ事をいうのはもうやめにしてほしいなと、思う時があります。
例えば、「とても、勉強になりました。次は自分も出たいと思います」とか総評でもなんでもなく、決意表明じゃないか!?みたいな事や、「これは今日の結果なんで、審査員や日にちが変われば結果も変わると思います」というようないつにでも当てはまる内容のコメントはとても残念。
別に、審査員は熱い事でも、冷たい事でも、水を差すような事でも、何を言ったって良いと思うし、それで会場が変な空気になったらそれを盛り返すのはMCの仕事なわけです。予定調和を考える必要は審査員には全く無いとおもいます。
そもそも、コメントを求められるのもあらかじめ決まっているんだから、喋れないなら、ある程度整理しておけば良いと思う。コメントも仕事なんですから。
あとは、審査状況をもっとオープンにしてほしいなと思う事もありますね。例えば審査時間が長くなると、何にそんなに時間がかかったのかとかは、やっぱり公にしてほしいなと、客としても参加者としても思う所です。あまり、まとまりませんがこれくらいにしておきます。
p.s.
あー今日は本当に寒い。暖房器具が無いから、室内でも厚着状態。
PUMPKING presents live performance
『EURORA -ヒカリトカゲ-』
日付:2011.1.23
場所:名村造船所跡地/WhiteChamber
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