SABUログ

PUMPKINGのSABUによるブログ(日記)

2013年8月5日月曜日

ドキュメンタリー

十代の頃から、ドキュメンタリーって面白いなと、自然のものや、人をおっかけるものだったり、好きだなーと思っていたけど、ここ数年は“タマフル”で知った、想田和宏さんの作品との出会いで、さらにドキュメンタリーへの好奇心が加速している。
僕が即興で踊る事を好むのは、決められた道筋がない中で、どのような結果が生まれるのかがはっきりしていない状態、、、そうたぶん、これから起こる事への好奇心が大きい。何も起こらないかも しれないし、起こるかもしれない。あの種リスキーではあるのだけど、そこは、身体能力とインスピレーションが補ってくれると、自分を信じるだけ。
きっと、想田さんも自分の好奇心に任せて対象を撮影しているのではないかな。

『どうなるのか、わからないモノを見る事が面白いと思っている。』と、改めて想田さんに気付かされたんです。ありがとう。

2013年7月31日水曜日

〈デッドマン・ウォーキング〉

死刑廃止論者である修道女ヘレン・プレジャンのノン・フィクション作品の映画化。1995年のアメリカ映画。死刑囚と修道女の関係性を軸に死刑制度の是非を問いかける。
監督のティムロビンスも死刑廃止論者で映画自体もその立場で描かれているけど、 被害者の家族の心情も描かれているし、安に加害者に感情移入しやすくしているわけでもなく、どこか一歩引いた視点から描かれているため、観ている間、入り込みすぎる事なく頭の中で死刑の是非論が巡り続けながら鑑賞するという事になった。それは、僕にとってはとても有意義な映画鑑賞でした。


暴力は反対ですよ。それが、例え、愛にあふれていたとしても、暴力は反対です。当然、戦争も反対です。人殺しなんて、状況や理由に関わらずに許せるものじゃない。
じゃあ、死刑は?人が人を殺す事ですよ?この疑問は常に頭の中に残り続けている。
真に更正の余地もなく、残虐な加害者がいたとしたら、その被害者が自分の家族、友人だったら、悲しみ憎しみ悔しさでいっぱいになると思う。殺したいと思うかもしれない。かといって、死刑制度があるのは当然、必然であるという考えもしっくりこないというのが正直な気持ちで、人が人を殺していいのか?ということと、人殺しを生かしておいていいのか?という気持ち、自分の中の矛盾が収まらない。
これは感覚だけど、世界から戦争がなくなるのには、死刑制度の廃止も必要な気がしていて、死刑廃止というのは、世界から暴力が減っていく動きの一つだと思うんです。残虐な人殺し、独裁者であっても、それでもこの世から排除するという結果に着地するのは、結果的に人間の暴力性を膨らますような気がする。また、繰り返し続ける。始まった暴力は、誰かが踏ん張って止めなきゃ勝手には止まらない。
暴力の連鎖を止める一つの方法にもなりうると考えると、、、そう思うと、死刑制度は廃止するべきなのかなと思います。

2012年9月5日水曜日

2012夏のSABU

初めてのソロキャンプで不便さと便利さを実感しつつ、一人になることで、一人ではない事に改めて気付いた。27歳の夏の旅。
YOUTUBEだと使用曲の著作権の問題で再生できなかったので、vimeoでUPしました!

少し長いですが、是非、観てみて下さい^^ 
“加島~初島、95kmを自転車で行く!!無人島3泊4日!!!!ソロキャンプの旅”

2012年8月24日金曜日

無人島での朝日と共に浜辺で踊る男“島男”

『加島~初島、95kmを自転車で行く!!無人島3泊4日!!!!ソロキャンプの旅』の最終日に撮影した、無人島での朝日と共に浜辺で踊る男、島男です。
この朝焼けは生の色です。エフェクトかけずにこの色。とても幻想的で、踊らずにはいられませんでした。
是非、ご覧下さい^^クリッククリック♪
島男

2012年7月9日月曜日

琵琶湖の外来魚駆除

固有種を守る為に、外来種を殺す。駆除する。これどうなの??
外来種だって固有種だって、同じ命なのに。。。
本来の琵琶湖の生態系に戻すっていうのが、、、うーん。
もしも、外来種が今以上に繁殖して、固有の種が滅んだとしたら、その種はそれまでの運命だったんだと思うんです。
人が手を加えるのはもうやめて、ゴミを捨てないとか、掃除するとか、より人の影響で汚染されるのを防ぐ活動はするべきだと思うが、わざわざ、今そこにいる魚を殺す必要があるのか??
琵琶湖で釣をする時、外来種をリリースしてはいけないという、条例があるそうです。なので、南側の琵琶湖には至る所に“外来魚回収ボックス”というのが設置されていて、釣ったらここに捨ててください!ってことになっているそうです。
生き物を箱に捨てるってどうなの!?

これは、琵琶湖の自然を守りたいのではなく、漁等で生活している人が自分達の生活の為に、漁獲量が減って行くのも懸念して、外来種を駆除しようとしている のではないかと思うのだけど、、、確かに漁師さんの気持ちも分かるし、遠いとこから何を言うているんだ、よそ者が!と言われればそれまでなのだが、自分達 の利益を優先し過ぎて、こんな偉大な湖を壊していく事に繋がるんじゃないかと思ってしまう。
うーん、滋賀県民の方はどう思うのだろう????聞いてみたい。


荒療治!?琵琶湖の外来魚駆除に電気ショック導入 滋賀県、一網打尽狙う - MSN産経ニュース http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120708/wlf12070814170009-n1.htm

2012年7月7日土曜日

滋賀のイジメ自殺。

最悪な事件だ。平成10年以降、毎年3万人以上の人が自殺でなくなっている日本。平成21年の統計だと、15歳〜39歳の死因順位の一位になっている。
若者は自殺で一番死んでいるんです。
悩んでいるけど、相談できる人がいないって人はライフリンクというNPO法人が相談に乗ってくれる窓口を作っています。一度このサイトを見てみてください。http://www.lifelink-db.org/index.html

イジメをする人はいるけれど、きっと救ってくれる人もいます。

 僕自身の中学校生活を思い起こしてみると、この事件程のイジメは僕が通っていた中学校にはなかったかもしれないけど、、、いや、それも、たまたま自殺までの結果が出なかっただけで、実際は同じような事があったのかもしれない。わからない。 僕は止める事もせずに、見て見ぬ振りをしていた様な気がします。誰がいじめていたのかも、記憶に定かではないけれど、少なからずイジメのようなものはあった事は確かだ。加害者側にはあまり、罪の意識は無かったのかもしれない。 中学生というのは、小学生の頃にはなかった多くの悩み、性の事、恋愛、勉強、進学、部活、家族との距離、、などなど、もろもろが一気にやってきて、ただでさえ不安定。そこへきて、毎日のように学校で虐められたら、自分は何のために生まれてきたのか?死んだ方が皆に迷惑をかけないんじゃないか?とか考えるのも、納得が行く話だ。
僕は、自殺をするほど悩んでいる人の話は聞いた事が無いので、自殺した人たちがどんな思いだったのかはわからないけれど、、、沢山の人が君をささえているって事。君が誰かの支えになっているって事は誰にとっても事実だ。それに気付けるように、じっくり自由に進んで欲しい。

 大人になると、子供の頃のリアルな気持ちは忘れてしまうんですね。皆が覚えていたら、先生や親が助けれたかもしれない。

2012年2月11日土曜日

STEPPER’S NIGHT

実験的というわりには、実験精神、というより、そもそも積極性にかける印象。
それぞれのダンスに力があるのに、セッションという意味では、力不足。端的にいうとコミュニケーション不足、と言える。
全体的に探り過ぎのせいで、失敗を恐れて大成功も逃してしまうという状態でした。ソロの踊りは良いのに、勿体ないなぁという感じです。

しかし、アブストラクト・B-BOY セッションに関しては積極性と、互いの信頼関係が見えて、セッションと言う形を見せる事に成功していましたね。個人的にはアブストラクト・B-BOY セッションというよりは、オフビート・B-BOY セッションという印象で、 一番楽しく見れたセッションでした。それと、カポエイラ・セッションも素晴らしいですね。いつもやっていることをやったんだろうけど、何かしみじみといいなぁと思えました。

フィメールダンサーセッションはそれまでの、セッショングループとは、異なる角度からのアプローチだったこともあり、ちぐはぐに一見みえる3人。だが、3人のダンスインスタレーション、そして、1番エクスペリメンタルに感じたセッションでもあった。だけど残念だったのは、締めくくりである。それは、この後のKNITさんについての最後に書きます。

MCのKNITさんは、情熱と自分自身の楽んでいる感で、会場の雰囲気をとても明るくしていて、いつも通り良かったけど、たまに不必要な言動が気になったのも否めない。
特には、フィメールダンサーセッションの最後で、3人が真ん中に集まっていった時に、自分も参加して行き、喋りながら無理やり終わらせてしまった点だ。エクスベリメンタルなイベントなのなら、どうなるかわからない時間をもう少し楽しませてほしかった。実際、生バンド の演奏は瞬時に三人の空気を読んで、雰囲気を変えて演奏を続けていたのだから、MCが終わらせて言い訳がないんです。あそこから何かが産まれそうだっただけに、今日、1番の残念な瞬間でした。

僕は、即興でパフォーマンスをする時に、普段から充分にコミュニケーションが取れていないメンバーの場合、充分な話し合い、準備が必要だと考えています。踊り自体は、即興で何が出てくるかわからないけれど、それ以外の準備をしっかりとしなければ、あまりにも、創り出される結果が不安定過ぎるからです。要は、どうすれば即興時により良いパフォーマンスが出来る環境を用意しておくかが重要なんです。
そもそも、セッションと言うものに対する価値観や概念が相違している可能性があるのだから、話さなければ分からないのは当然なんですよ。すべてを準備無しでやる事こそに、ダンスセッションの美徳があるのだと主張する人がいたとしたら、それは勝手に遊びでやってほしい。お客さんはお金を払っているのだから。

色々と書きましたが、イベントの雰囲気はHAPPYでとても良く、全てのセッションを楽しんで観れたし、行って良かったと思います。今後も、是非、続けて欲しいイベントである事は間違いありません。今回行けなかった人は、是非、次回があるなら行ってみて欲しい。何かが産まれる時は、大概の場合、不安定で、その半信半疑な状態こそが、何より面白い時期なんだと思います。
何でも予定調和は面白くないんですよ。STEPPER’S NIGHTオススメです。